{評}修士論文審査会の懇親会で、F教授から

「君の研究は”学習エントロピー”という概念を導入したしたところが特徴だね」

といった内容のコメントをいただく。

 

(注)手書きの修士論文を音声入力ソフトを用いて部分的に入力

 

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修士論文 思考過程の数学的表現と模擬実験

 

1971年3月22日提出

指導教官 斎藤正男 助教授

東京大学工学系研究科電子工学専門課程 学修番号4222

中所武司

 

目次

 

序章  何を意図したか

 

第一章 思考の解析

      1.1       心理学から学ぶこと

      1.2       精神医学から学ぶこと

      1.3 脳生理学から学ぶこと

      1.4       思考に関連した工学的諸研究

      1.5       思考とは何か

            1.内観による考察

            2.言語の役割について

            3.拡散と集中の反復過程

 

第二章 思考のモデル

      2.1 拡散と集中の思考モデル

      2.2 その数学的解析…収束問題

      2.3 そのオートマトン理論的解析…制御問題

      2.4 その心理学的解析

      2.5       失語症のモデル解析

 

第三章 思考過程の計算機シミュレーション

      3.1       討論学習のシミュレーション

            1.学習と評価

            2.使用プログラムの概略

            3.L1型学習の性質

            4.L2型学習の性質

            5.L3型学習の性質

            6.討論学習T…自己主張意欲大なる場合

            7.討論学習U…学習意欲大なる場合

      3.2       思考の発達段階のシミュレーション

            1.成長に伴う対話の意味の変遷

            2.シミュレーションの方法

            3.結果と考察

      3.3      デルファイ法による未来予測手順のシミュレーション

 

第四章       思考モデルTMの再検討

      4.1 記憶…短期記憶行列

      4.2       概念

      4.3       f・gサイクル

      4.4       入出力

 

終章  何をなしえたか

 

文献

 

付録1      使用プログラム

付録2      初期拡散行列一覧表

 

序章 何を意図したか

 

 人は物心がついて以来、いろんなことを考えてきた。「何だろう」と疑い、「なぜだろう」とまどい、「何ができるだろうか」と考えてきた。そして、夢中で、何時間も、何日間も、あるいは何年間も考えた後に、考えるということが嫌になることがある。

 しかし、不幸なことに、何も考えないでいるということは、なかなか困難である。意識的無意識が存在するだろうか。日常的な例として、眠れない夜のことを考えてみよう。眠ろうとする無意識への志向に反して、眠らせまいとする意識への志向が立ち現れる。昼間は一心同体であったものが、今は、あい対立する存在である。

 

 ところが、この不幸も、工学に携わる我々にとっては幸いである。なぜなら、このことは、思考過程が対象化される可能性を示しており、そのシステムによる表現への努力に希望を与えるからである。そして、そのことは、本研究の目的でもある。すなわち、思考過程を研究対象とするにあたり、次の四つの命題が考えられた。

 1.思考とは何か。

 2.その数学的表現は可能か。

 3.それに基づくシステムモデルで何ができるか。

 4.その工学的価値は何か。

これら四つの問いを背負って、本研究は始まるのである。

 

 最後に、本論文の構成を紹介しておく。

第1章では、各分野での思考に関する研究を概観し、最後に1.5節で、私自身の思考に対する考えを述べている。

第2章では、1.5節の考察に従い、思考のシステムモデルを作成し、その解析を行う。

第3章では、そのモデルを用いて、討論学習などの計算機シミュレーションを行なう。

第4章では、第2章の解析、第3章の結果に基づき、モデルの再検討を行う。

 

第一章    思考の解析

 

1.1 心理学から学ぶこと

 

 思考は、古くから、心理学でも、非常に興味のある問題の一つであった。しかし、現代において、アメリカ的行動主義心理学が主流を占めつつあるとき、思考という用語は、心理学から消え去ろうとしている。それは、その言葉が学術用語としては、これまであまりに主観的に用いられてきたためであり、約100年にわたる、思考に関する心理学の混沌とした流れのなかで、起こるべくして起こったことともいえる。

 

 19世紀半ばころの主流である連合心理学では、心理学的諸現象は、感覚とか観念といった簡単な要素によって分析され、思考過程は、この観念が一定の連合法則(例えば、複数個の観念が空間的あるいは時間的に接近していたり、類似していれば結合するという法則)によって複雑なものに連合していくと考えられた。しかし、このような単純な理論は、心理学が科学として自立していく過程で消え去っていった。R.Thomson[1]によれば、思考に関する混沌の原因は、心理学者が人間の精神に関して、形而上学的見解によって惑わされていたからであるという。すなわち、個人の意識内容を内観したり、分析したりする試みを捨てよ、というわけである。そのような考えから、最近では、思考に関する研究は、思考する人間の行動を通してのみ客観的に行いうるとして、実験的性格を強めている。その最もよい例は、学習心理学との結びつきである。パブロフの条件反射学に始まる、外からの刺激Sと被験者の反応Rに注目したS−R学習理論は、スキナーによるオペラント条件づけ[2,3]の研究や、今日の思考の媒介過程説の基礎になったC.L.Hullらの研究によって着々と成果を収めている[4]。後者は、思考過程を外部刺激Sと外への反応Rの間に、媒介反応rと媒介刺激sとからなる媒介過程の介在したものと考え、その階層や連鎖の静的あるいは動的な構造を想定することにより、思考をうまく説明していこうとするものである。それに関して、端的に、問題解決行動を思考の本質と見る実験も盛んに行われている。しかし、これらの研究も、ある程度の成果を上げてはいるものの、思考の本質に迫るものではない。

 

 一方、思考を言語との関係でとらえる研究[5,6]も多いが、まだ体系づけられているに至っていない。古くは、「思考の中への言語的シンボルの導入は、すでに存在する感性的記号の系列への新しい感性的記号の付加ないし生理学的には同意義のあるシンボルによる他のシンボルの交代であるということが分かるというセチェノフ [7]や言語を第二信号系として人間の特性に見つけようとしたパブロフおよびその後継者たち[8]のように、言語を記号や信号として考える見方があり、さらには、単語の意味構造の解析から言語を探る研究としては、意味微分法(SD法)で有名なOsgoodsのように、意味の座標空間を考える静的方法[9]や、その単語による連想語から意味の解析を行う動的方法[10]があるが、それは、思考における言語作用の解析からはほど遠いところに思われる。この方面のより進んだ研究として、人間の言語活動においては、言語記号は、なんらかのルールに基づいて操作されているという視点から、そのルールを解明しようとするチョムスキーらの研究[4]がある。

 

しかし、それらと異なる見方に、「思考を微小化された言語行動」とするワトソンや「意味づけられた言葉は、人間の意識の小宇宙である」というヴィゴツキー[11]のように、言語を思考の本質にかかわるものとして考える立場がある。特に言語機能を外言(音声言語、コミュニケーション言語)と、内言(思考言語)の二つに分離して議論したヴィゴツキーの理論は、かなり思考の本質にせまったものと思われるので、以下、彼の理論に少し詳しく触れておく。

 

 彼は先ず、思考の発達心理学について、子供の思考および言語の発達に関するピアジェの研究を批判して、子供の論理的思考およびその発達を、現実から完全に切り離された純粋な意識の交流の中から、子供の現実の獲得に向けられた社会的実践を全然考慮することなしに導き出そうとする試みこそが、ピアジェの理論的構成全体の中心をなしているが、ピアジェの扱ったような環境の子供と違って、労働している子供における思考の発達を研究するならば、一般化をも可能にする、極めて重要な法則性の確認に導くであろうという確信のもとに、彼の議論が展開される。

 

 すなわち、概念の形成をもたらす過程の発達は、その根源を深く児童期に発してはいるが、概念形成の過程の心理学的基礎を形成する知的機能は、過度的年齢において、初めて成熟し、形成され、発達するものであり、その段階は三つに分けられるという。

 

 第一段階は、幼児の行動に、最もしばしば現われるもので、非組織的な未整理の集合の形成にあり、言葉の意味は、子供の表象や知覚の中で、一つの形象に、互いになんとなく結びついた、全く不明確ないくつかの事物の非組織的、混同心性的連結である。

 

 第二段階は、この第一段階を基礎にして、結合の形成、様々な具体的印象の間の関係の確立、個々の事物の統合と一般化、子供のあらゆる経験の整理、体系化をもたらす。その思考方法は、子供の印象の中で確立された主観的結合のみを基礎とするのではなく、個々の具体的事物の間に実際に存在する客観的結合に基づいた具体的事物の複合である。そして、その複合には五つの形式がある。

 

(1) 連合的複合:対象の任意の特徴との任意の複合

 

(2) コレクション的複合:さまざまの具体的事物が、何らかの一つの特徴に従って、相互に補充し合うことを基礎に結びつけられて、相互に補充し合う多様な部分から成る一つの全体を形成する。

 

(3) 連鎖的複合:個々の環が、一つの連鎖に動的に一時的に結合し、この連鎖の個々の環を通じて、意味が移動するという原則に従って構成される。

 

(4) 拡散的複合:拡散的、無限定的結合により、直観的―具体的形象や事物のグループを結びつける複合

 

(5) 擬概念的複合:外見上はすでに概念であるが、その心理学的本性においては、異なる複合

 

 こうして、この五つの形式を踏まえて、第3段階としての、成熟した概念形成に到達するのである。

 

 以上が、ヴィゴツキーの、実験的分析による概念の発達の理論であり、それに続いて、思考言語に関する理論が展開される。

 

 彼は、言語的思考要素に分解して分析すべきではなく、要素の代わりに、単位を考えるべきであるとし、言葉の意味を言語的思考の単位として扱う。さらに、この言語の意味的側面の研究は深化されて、内言の研究に進んでいる。そして、古い学者たちの、内言は、言語の記憶想起であるとか、言語から音声を差し引いたものであるとか、最後まで行かなかった外言であるとかいう考えを批判し、内言を外言と異質なものと考え、外言は、思想の、言葉への転化、それの物質化、客観化の過程であるが、内言では、逆方向の、外から内に進む過程、言語が思想へ気化する過程であるという。この内言の研究にあたり、彼は幼時の自己中心言語に注目し、最初に、この研究で実績のあるピアジェを再び批判し、自己中心言語は、内言の発達に先行する一連の段階であり、これは、ピアジェのいうように6歳ごろに消滅するのではなくて、内言へと移動し、成長、転化することを明らかにした。(このことは、2.4節でも言及する)

 

 このように、ヴィゴツキーは、内言を思考言語として独立させて、思考と言語の研究を成し遂げた後、さらに大きな問題、すなわち意識の問題にぶつかった。しかし、「思考と言語は、人間の意識の本性を理解する鍵である」という言葉だけを残して、若くして逝ってしまった。

 

 この節では、前半で心理学における思考の問題を概観し、後半は、ヴィゴツキーの理論を簡単に紹介したけれども、まだ全体的には、方法論における模索の時期であり、心理学の分野から、思考のシステム・モデル化にあたって、直接に利用しうるようなものは何もないというのが現状のようである。

 

 <中略>

 

1.5     思考とは何か

 

(1)        内観による考察

 

はじめに、次のような日常的な思考過程を考えてみよう。

「私は今、研究室で、机に向かって熱心に本を読んでいる。

 突然、電話のベルが鳴る。

 約4m離れた電話のところに行き、受話器を取る。」

 このわずか数秒の間に、私は何を考えたであろうか。まずベルが鳴りはじめてすぐ、この部屋の電話のベルであることを知覚し、同時に、誰かが電話に出なければいけないことを了解している。次の1秒の間に、この部屋に他に誰かいるかどうか、もし居れば、彼は今、電話に近いがどうか、手が離せない仕事をしているかどうか等、自分が電話に出るべきかどうかの判断をするだろう。ベルが鳴りはじめて、決定までに、2秒はかからない。この間に行われた思考は、習慣的な部分としての、長期記憶の他に、この部屋に誰が居たかどうかのように、何分か何時間が前までの記憶が呼び起こされているのである。その他、時には、丁度この時間に電話をすると言っていた人のことを想い出したり、今日はよくかかってくると考えたりもする。

 結局、ベルの音によって引き起こされた思考過程は、記憶の想起と判断によって構成されていると考えることができる。更に、この例のような日常茶飯事の判断は、どのような状況の時に、どのように行動するかということが、既に幾多の経験により、習慣的なまでに記憶されており、実際上は、記憶の想起と考えてもよい。従って、端的に表現するならば、思考過程は記憶の想起の過程であり、それは、ちょうど、学習過程が記憶の記銘の過程であるのと対照的である。

 さて、ここで、ベル音にはじまる思考過程の中で、記憶の想起が極めて適切に選択的に起こることに注目したい。この2秒間の思考の解析、特に、その記憶想起の選択性の要因を探る為に、その過程を、問と答の反復過程として、次のように整理してみた。

 

S  リリリーン リリリーン

 Q1 何の音?

 A1 電話の音だ

 Q2 電話の音?

 A2 誰かがでなければならない

 Q3 この部屋に誰が居るか?

 A3 Sさんが居る

 Q4 彼女は今どこで何をしているのか? 電話に出られないか?

 A4 実験をしている。手が離せないだろう。

 Q5 他に誰か居ないか?

 A5 Yさんが居る

 Q6 彼は今、どこで何をしているのか? 電話に出られないか?

 A6 机で勉強をしている。距離は私のほうが近い。

 R  私が出よう

 

 勿論、ここで、このS→Q1→・・・→A6→Rが、2秒間の思考過程そのものであったと言うのではない。しかし、このうち、A1、・・・A6の事柄は、たとえ無意識であったにせよ、その記憶が想起されたはずである。

 

 <中略>

 

2.4 その心理学的解析

 

<中略>

 

ヴィゴツキーによって、4〜6歳児の自己中心言語は、7歳くらいまでに内言(思考言語)へと発達することが明らかにされているが、それは、ちょうど、図2.6において、ループ1からループ2への移行として把握される。言語を覚え始めた頃の幼時は、まだ、思考能力を持たないために、ループ1もループ2もなく、条件反射的構造になっている。そして、言語能力が発達してくると、自己中心言語を話すようになり、ループ1を利用して、疑似思考を行う。このようなループ1の活用の積み重ねが、ループ2の発達を促し、7歳ごろにはこのループ2が定着して、ループ2の代用品としてループ1は消滅していく。このような、ヴィゴツキー理論の裏付けが、ループ2の存在の意味を明らかにする。

 

<中略>

 

 

終章 何をなしえたか

 

 本論文での第一の課題は、思考とは何か、ということであった。思考の本質を記憶の想起とし.その記憶が学習過程で習得されたことと考え合わせて、思考過程は問いと答えの反復過程であると考えた。その一方で、思考言語の働きを、不明確な概念想起の流れの中での明確化作用としてとらえ、条件反射的思考から言語的思考への飛躍的な思考能力すなわち思考の持続性の拡大に不可欠のものと考えた。そして、これら二つの考えをより抽象化して、思考過程は、拡散化作用と集中化作用の反復過程あるいは同時相反過程であると結論した。

 

 しかし、これは、ベル音に始まる2秒間の思考過程のような日常的思考についての結論であり、創造性、判断、問題解決などを含めた思考には触れなかったけれども、これらも、記憶の想起の仕方の問題として、把握していくことができると確信している。記憶の想起と表裏一体をなす記憶の記銘の仕方は多様であり、まして、その想起は一段と多様であり、我々が、自らの記憶の想起をどの程度まで、そして、どのように制御することができるかということが、創造性とか、判断とか、問題解決の本質ではなかろうか。もし人間が、それ以上の想像力を持っていれば、人類の歴史の大半を石器時代として費やすことは無かっただろうし、もし、人間がそれ以上の判断力を持っていれば、将棋などはつまらない遊びだったろうと思われる。問題解決についても同じである。例えば、猿が短い棒を2本つないで、おりの外にあるバナナを手に入れる手段を発見することを、これは猿が頭の中で考えたのではなくて、たまたま棒をいじっていて、その解決に行き着いたのだと説明され、それは、人間の問題解決とは異なるという。しかし、人間は、棒を実際にいじらなくても、頭の中でそれをいじることができるのだから、人間の問題解決の場合も、やはり過去の記憶に基づいた頭の中での試行錯誤の繰り返しによると考えられるのではなかろうか。

 

 ただ、このように、人間の思考能力を記憶の想起の制御能力としてとらえることによって、何ら事態が進展したわけではなく、一つの出発点、一つのアプローチの仕方を示したにすぎない。その有効性は、今後の結果いかんである。

 

 さて、このような思考の把握に基づいて、第二の課題は、その数学的表現は可能か、ということであった。ここで最も困難な問題は意識状態をどのように表現するかということで、特に、単位として扱いえない概念の想起の度合いを数学的に表現することの困難さにつきるといってもよい。本論では、言語の単位として扱いうる性質を加味して、言語表現可能な概念という形でその困難さを避けたが、その影響は、拡散作用の部分にあらわれて、それが、ほとんど連想作用と変わらないものになってしまった。1.5節で述べた拡散作用とは、連想作用よりもっと小さい視野での現象を意味していたのだが、機能としての違いは無いのでこれでもいいと思う。しかし、それだけ、このモデルの持つ可能性が小さくなったことは否めない。

 

 第3の課題、そのモデルTMで何ができるか、ということについては、まず、その基本的な妥当性を見るため、性格および精神状態がどのように表現されるかということと、失語症のモデル解析を試みた。前者の方は、心理学的知見の乏しさもあり、主観に傾きがちであったが、こうした研究が進めば、例えば、体力検査や知能検査のように人間の性格や精神状態を数字化して表現することも、あながち不可能ではないように思われる。失語症の方は、一般論はうまく展開できたが、具体的な個々の症例との対応付は残されたままである。

 

 一方、行動主義的立場からの、人間のふるまいの計算機シミュレーションの方は、モデルの入出力にしか注目しないため、かなり面白い結果を得た。討論学習は、L13型とL2T型については、本論で扱ったが、学習型L1、2、3に対応する重み付けδ1、2、3の値は、自分と相手との関係によって決まる討論の形式を設定し、パラメータα、β、p,Tは主に自分の性格、精神状態、知能など、討論に間接的に影響するものを設定し、初期拡散行列M1、M2は、それぞれの過去の経験や、学習による価値観および学力を決めるので、これらの選択を適当に行えば、いろいろな場合を設定できる。さらに、討論の経過に依存したパラメータ変化を考えることも興味深い。

 

 3.2節では、この討論学習を基礎にした思考の発達の様子を模擬した。そのやり方は、五つの時代にそれぞれ一つずつ代表的対話形式を設定するという簡単なものであったが、妥当な結果が得られた。特に、環境すなわち討論相手の変化あるいは違いによる影響がはっきり表れた。このほか、間接的な環境すなわち生活現場の状況の違いや天性すなわち知能や性格の違いなども、パラメータ変化で設定すると面白いと思われる。

 

 3.3節での、デルファイ法によって、10人の意見をまとめていく様子も一応妥当な結果を得たけれども、そのアルゴリズムが単純で、回答の変更の要因が集計結果だけであったため、その回答の理由が全く不問に付されていることになり、少し無理がある。これと並行して、同じモデルを用いて、従来の討論をやらせてみて、デルファイ法による結果と比較することも考えられるが、その場合は、10人の中から次の発言者を選ぶアルゴリズムが重要になってくる。

 

 以上、モデルTMを用いた模擬実験の結果は、TMの思考モデルとしての妥当性の検討に役立つと思われる。このほかにも、模擬実験はいろいろ考えられるが、現段階では、基本になる思考モデルの改良に有用であるという程度を超えて、模擬実験ばかりが先走るようなことはあんまり賢明でないように思う。

 

 最後の課題は、その工学的価値は何か、ということであった。本論文でのTMを、思考のモデルであるということを離れて、システムとして見たとき、それが工学的に何か有用なものとなるかどうかという考察は、まだ十分なされていない。しかし、このシステムの特徴が、拡散行列が状態遷移行列の性質と記憶行列としての性質をもつことから、系列機械とパターン認識機械の機能を併せ持っていることにあることから考えて、系列的入力パターンの認識のためのシステムとしての可能性は大きいと思う。

 

 以上、序章で述べた、本研究における四つの課題について、結果を考察したが、最後に、全体的な感想を記しておく。

 

思考は、人間の所有物でありながら、それは所有権なき所有であって、我々は、それを支配することはできない。これを何とか手中に収めたいという欲求にかられて、こうした研究に携わったのであるが、意に反し、返り討ちにあった感が強い。それは、内観作業に頼りすぎたためかもしれない。しかし、行動主義心理学者のようにその他完成を重んじて人間をブラックボックスと考え、その行動だけを研究対象とすることによって、ブラックボックスのメカニズムにこそ興味を持つ我々がえることのできる手がかりが不十分であるとすれば、やはり、内観も、一つの重要な手段としないわけにはいかない。いずれにせよ、思考についての研究が、その思考によって行われるというジレンマから逃れることができないとすれば、我々はすでに第1歩からつまずいていることになる。研究主体が同時に研究対象であるという特異な分野の困難さをつくづくと感じたのではあった。

 

 

謝辞

 本研究に関して、有意義なご意見をお聞かせくださった斎藤先生をはじめ、斎藤研究室の方々に深く謝意を表します。

 

参考文献

 

[心理学]

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[精神医学]

18.アンリ・エー:意識、みすず書房、1969(原書1968)

19.大橋博司:失語症、中外医学社、1967

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  j.浜中、池村、大橋、東村、19691308-1328

22.精神医学、失語症関係の論文14件、1959―1969

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[脳生理学]

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53.中所,斎藤:簡単な思考モデルによる討論学習効果について、

昭和45電子通信学会全国大会、231(1970).

54.中所、斎藤:思考過程のシミュレ-ション、電子通信学会オ-トマトン研究会資料、

A70-76(Dec.1970)

 

数学

55.F.R.Gantmacher :  The theory of matrices, 2vols, Chelsea, 1959

56.二階堂副包:現代経済学の数学的方法、岩波書店、1960

 

[その他]

57.牧野昇:デルファイ法入門(演習)、牧野編 情報化時代の産業予測、東洋経済新聞社、1970