■ 第4のソフトウエア危機





■著書
 「ソフトウエア危機とプログラミングパラダイム」( 1992年 発行 )  →  目次
  の12.3.1から引用



第12章 パラダイム雑感

12.3 第4のソフトウエア危機


本書の冒頭で、情報化社会は「あかるくらい」社会であると述べた。第2章では、その暗い面として、規模と量と質のソフトウエア危機について言及した。このソフトウエア危機は、生産技術の面からとらえたものであるが、他にも種々の観点がある。

たとえば、コンピュ−タ関連業界がソフトウエア開発要員として理工系の学生を大量に採用することにより、他の産業界の労働力不足がより深刻になる。これでは、ソフトウエア危機が実は産業の危機ということになる。また、エンドユ?ザコンピュ−ティングの進展と共にパソコンを中心としてそのソフトウエアの本が急増している。これらの本が本屋の売場をどんどん占領しはじめている。これは、本屋の危機、出版業界の危機にとどまらず、文化の危機と言えなくもない。コンピュ−タ犯罪も増加している。コンピュ?タウイルス騒ぎは日常化しているし、磁気カ?ドにからむ不正も多い。国税庁の調べでは、最近の脱税の手口にコンピュ−タのソフトウエアを悪用したものが増えている。コンピュ−タウイルスは敵の軍事システムを破壊する兵器として扱われはじめている。 ここでは、規模、量、質に続く第4のソフトウエア危機として、知的所有権の問題と製造物責任の問題を取り上げたい。

(1)知的所有権

Intellectual Property は、知的所有権または知的財産権と訳される。知的所有権は、工業所有権と著作権に分類され、前者には、特許権、回路配置権、トレ−ドシ−クレット法、商標権などがある。 特にソフトウエアに関する知的所有権をどんな方法で保護するかという問題が注目されている。既存の制度では、特許や著作権がある。従来、ソフトウエアは特許になりにくかったが、最近は方法特許やコンピュ−タに組み込んだ装 置特許として認められることが多くなってきた。一方、ソフトウエアを著作物とみなして著作権で保護することもおこなわれるようになってきた。しかしながら、従来、物としての製品やその製造方法を念頭において作られた特許制度や文芸作品の文章などの表現を対象とした著作権は、そのままソフトウエアに適用すると不都合な面もある。ソフトウエアの知的所有権に関して各国でその保護の方法が異なっているが、米国や欧州ではソフトウエアを言語著作物(リテラリワ−ク)として著作権法で保護する考えが強い。この問題は、経済のグロ−バル化と共に、その標準化の必要性に迫られており、関税貿易一般協定・多角的貿易交渉の対象になっており、世界知的所有権機関( WIPO : World Intellectual Property Organization )でも種々の努力がなされている。

知的所有権への関心の高まりと共に、ソフトウエア関連の特許出願が急増している。ソフトウエアに関するトラブルも増加している。特に、最近はワ−クステ−ション、パソコンの普及やビットマップディスプレイの普及につれて外部インタフェ−スの部分が多くなり、ウィンドウやポインティングデバイス関連の類似性が問題になりやすい。今後、マルチメディアデ?タを簡単にコンピュ−タで扱えるようになるとその著作権も大きな問題となろう。既に、他人の持っている特許を買い取って、その特許を侵害していると思われる会社にライセンス料を請求する特許管理会社も出現している。その反対にソフトウエアの権利化の弊害を主張して、良いソフトウエアを普及させるために無料で配布する団体( FSF : Free Software Foundation )もある。

このようなソフトウエアの知的所有権の保護が行き過ぎれば、ソフトウエア産業の発展が阻害される。そればかりか、今日のように日常生活で接しているあらゆるものにコンピュ−タが使用されるようになると、最も迷惑を受けるのがエンドユ−ザということにもなりかねない。にもかかわらず、ソフトウエアの知的所有権の保護はさらに強化されていくと思われる。

この視点で来たるべき21世紀を展望すると、規模、量、質に続く第4のソフトウエア危機が知的所有権によってもたらされる可能性がある。日本の約50倍の弁護士がいるといわれる米国の訴訟社会が最初に本格的に日本にもたらされるのはこの分野かも知れない。その時には、プログラマ不足に代わって弁護士、弁理士不足が問題になるだろう。訴訟に対抗し、違法行為を合法化するためにマネ−ロンダリングならぬテクノロジ−ロンダリングがはびこるだろうか。ソフトウエア開発技法の大半が法律問題で占められ、ソフトウエア産業が法律産業と化すことはないとは思うが。

反面、知的生産物の権利が尊重されるということは、この分野の研究者や技術者に大きなビジネスチャンスが生まれることにもなる。3章のソフトウエア危機回避のシナリオの一つとして、情報処理技術者の自由業化について述べたが、アイデア一つで億万長者も夢ではなくなる。

(2)製造物責任

第3のソフトウエア危機として、2章で「質」の問題について述べたが、製造物責任( PL : Product Liability )の制度化と共に第4のソフトウエア危機に発展するかもしれない。米国で1975年に成立した製造物責任法は、ある製品を使用中に事故が起こったとき、製品の製造者に過失がなくてもその責任が問われるものである。有名な例として、濡れた猫を電子レンジで乾かそうとして死なせてしまった事件があるが、予見可能な誤用に対して適切な処置をとっていなければ製造者に賠償責任が生じる。

日常生活の中で、お菓子の袋に「万一変質品がありましたら・・・郵送料弊社負担でお取換いたします」とか、フィルムの箱に「・・・新しいフィルムとお取換いたします。それ以外の責はご容赦願います。」などとことわっている文を見かけるが、ソフトウエアに関してはどうであろうか。プログラムにバグがあれば、それを取り除いたものと取替えるのは当たり前と思うが、パソコンのソフトウエアパッケ−ジやゲ−ムソフトあるいは量産品の組込ソフトなどでは取替えは大変である。2章で述べたように、ソフトウエアの誤りが原因で社会的な影響力の大きなシステム事故が発生したとき、誰がどのような補償をするのか。

製造物責任の観点では、ソフトウエアの誤った使い方で生じた損害も補償することになる。かつて米国の株価の大暴落にソフトウエアによる自動取引が関与したことがある。AIを応用した金融証券分野の商品が投資家に大きな損害を与えたこともある。この責任は、投資家が負うのが当たり前、とは言えなくなるかも知れない。投資家に販売した会社、アプリケ−ションソフトウエアの開発者、その開発ツ−ルの開発者、そのツ−ルの開発に用いたプログラミング言語のコンパイラ開発者、あるいは言語設計者までさかのぼって無過失責任が問われることになれば、ソフトウエア産業は簡単に壊滅する。ソフトウエアに関しては「誤った使い方」の範囲はどのように限定されるのであろうか。「・・・健康法」という本の影響を受けて健康を害した人やある小説の手口を真似て犯罪をおかした人に補償することにはならないと思うが。

ただ、ソフトウエアパッケ−ジを購入すると、分厚い説明書が付いていて、最初に長々と知的所有権に関する警告文が書いてあり、その次にまた長々と製造物責任を回避するための使用上の注意が書いてあり、最後の方に使い方が書 いてある、ということにはなるかもしれない。