「1956年のメルボルン・オリンピック

なぜ男子1500m自由形が金ではなく、銀メダルなの? ―

      (2016.12のブログ「番外編:メルボルン訪問201619801956の詳細)

 

国際会議での論文発表のため、2016年の12月上旬に,はじめてメルボルンを訪れたが,

メルボルンについては、懐かしい思い出がある.

60年前の1956年、私が小学4年の時のメルボルンオリンピックにおいて,水泳自由形で日本のホープの山中毅選手がオーストラリアの強豪ローズ選手と争い、400mと1500mでともに敗れ、銀メダルだった。1500mについてはラジオの実況で山中選手が激しく追い上げる放送が記憶に残っている。

そこで,今回,その思い出を確認するために,メルボルンの国立スポーツ博物館を訪れた.幸いにもオリンピック関連コーナーがあり、ローズ選手が1500mと400mで金メダルを取ったという展示があったので、入場料を払ったかいがあった。(^^)

【掲示内容】

 

 

写真の左端がローズの展示で,下側はその説明文.

写真の右端は日本の女子400mリレーのチームが記者の取材を受けている場面.

【参考資料】

説明文には「マレーローズが,1956年のメルボルンオリンピックで・・・17400mと1500mの金メダル獲得・・・」とある.山中毅も当時17の高校生だった.

【記録】

1500m自由形

17589  マレー・ローズ

18003  日本 山中毅

400m自由形

4273  マレー・ローズ 

4304  日本 山中毅

 

追伸:

・記念館に隣接するクリケット競技場はとても立派なもので、10万人収容施設。

 (この競技場はメルボルンオリンピックのメイン会場だった)

 

追記(2017.2.15

<朝日新聞記事抜粋>

「五輪競泳銀メダリストの山中毅さん死去 78歳」

山中毅さん(56年メルボルン、60年ローマ五輪の競泳男子銀メダリスト)。

 石川県出身。地元の輪島高3年で出たメルボルン五輪の400メートル、1500メートル自由形で銀メダルを獲得。早大4年で出場したローマ五輪でも400メートル自由形、800メートルリレーで銀メダルを取った。200メートル、400メートル自由形では世界記録保持者にもなった。83年には国際水泳殿堂入りを果たした。

 

以上